すべては引力のなかで

昨日の夜、36時間ぶりに横になる

その前の晩は仕事が終わらなくて帰れず、椅子にもたれて仮眠をとった程度

シャワーを浴び畳の上に横になってから、気を失うまでに時間はかからなかった




無意識のうち、寝返りでもうったのだろうか

目覚めたとき、うつぶせになっていた

そのときにふと感じた重力


なんだろう、この感覚

床に寝ころぶというよりも、床に吸い付いているような

まるで全身の疲労を、その重力がぼくの身体からすべて引きはがしてくれているような

その重力がぼくの中の淀みのすべてを引き受けてくれているような。


目覚めたときにはその重力に抗うことができず、意識はあるものの身動きができない

ぼくの中にあったものを引き渡したその代償か

諦めてもう一度目をとじる その重みの中へとふたたび身をしずめる



こんどは身体を動かすことが出来る 身体を起こすことが出来る

気のせいかも知れないが、ずいぶんと身体が軽くなったようだ

昨日まで感じていた疲労感など、微塵も身体には残っていない



無意識の意識

生きているとつい、起きている時間―意識のある時間―ばかりに目がいってしまう

たしかにいろいろな活動が出来るその表の時間は、すべての活動を休止する裏の時間に支えられている


重力に身をあずける時間

睡眠とはただ寝れば良いというものではなく、

重力に逆らうことなく、それにすべてを任せて、そのなかへとしずむことなのかもしれない

ゆっくり、ゆっくりと

さすれば、かれがあなたの中にたまった毒さえもすべて引き受けてくれることだろう

theme : LIVE、イベント
genre : 音楽

この日のために生きている

Sphere's orbit live tour 2012
名古屋公演と、横浜公演(2daysの内後半のみ)参加してきた。
それらがとても素晴らしいものであったことは論をまたない。またその感想などは他のブログに記したため特にここには特記しない。

ぼくは、先月から随分と忙しい日々を送っている。
先月はじめに職務上直近の上司が異動になったため、その業務がほぼぼくの一身に引き継がれたことがその理由として挙げられる。
3月3日がぼくの誕生日であるが、その日を最初で最後に先月は休みが1日も無かった。28日連勤は自分史上初だった。会社からの素敵な誕生日プレゼント。
今月は先月に比べれば休みは増えたものの、出勤日のせわしさはあまり軽減されなかった。休みの日も出張になったり(無論振替休日なんてない)、先週末は3日間で家に居た時間が合計4時間だったりと、文字通り「心」を「亡」くしそうな「忙」しさだった。

そんな中でのライブ参加。
当然月曜日は出勤で、土曜日も毎週出勤で、かつ終わるのは大体23時なので、すべて日帰りでの参加となる。
まわりからは「疲れないか」とか「よくそこまでして行くよね」などと言われる。
しかしながら、ぼくにとってはこれこそが力の源なのだ。
たしかに、飛んで跳ねて叫んで、翌日には(早ければ当日中に)全身筋肉痛になり、声はがらがらに枯れる。しかしそれと引き換えに日々の疲れを、心にまとわりついたおもりを振り払うことが出来る。そして、亡くしかけた心にひとしずくの潤いを与え、心を呼び戻すことに成功する。
また、電車に乗ることがもとより大好きなので移動距離も移動時間も何の苦にもならない。むしろ遠ければ遠いほどぼくはうれしい。新幹線で2時間と少しで着いてしまう名古屋なんて長距離に入らない。時間が許すならば鈍行で行きたいくらいだ。(ライブ自体は楽しかったが、当然自宅から30分で着く横浜は近すぎてつまらなすぎた)

この日のために生きている。
そう言っても過言ではないくらい。

このブログは、昨年9月に代々木で行われたスフィアライブ2011 Athletic Harmonies クライマックスステージのBDを見ながら書いているが、もはやライブに行きたくて行きたくてうずうずしている。スフィアとスフィアのファンのみなさんと一緒に盛り上がりたい。
次のライブは5月20日。それまで約1か月間もある。
過去のライブBDを見るだけでいてもたってもいられなくなるぼくが(昨日ライブに行ってきたばかりだというのに)、そんなに長い期間耐えられるのだろうか。

はて。

theme : LIVE、イベント
genre : 音楽

「分けること」「仮想敵」

とうとうぼくも風邪をひいた。
熱は無いようだが、喉が痛いし、身体がひたすらだるい。
そんな体調ながら今週の日曜から来週の金曜まで休みが無い。
まだ半分くらいだが、もう死にそう。

今日は会社の今後の方向性について議論する場を持てた。
メンバーはぼくの所属部の部長と、ブルーカラー(現場作業員)のトップと、ぼくの後輩(10歳年上)と4人だ。

その議論の内容は専門的、個別的なので割愛するが、そのような場を持ってぼくが思ったことをここに記したい。

よく「会社が悪い」「会社のせいだ」というような言説を耳にするが、その「会社」って果たして何なのだろう。
「会社」に人格は無いし、「会社」が発言することも無い。
それなのに「会社が悪い」とはどういうことなのか。
かくいうぼくも、よくそういう発言をしていた一人である。しかし、今日の議論の場を終えて少し考えたのである。

結局のところ、「会社」という仮想敵を作りたいだけなのではないか。
具体的な人を指して「お前むかつく」と言えば角がたつが、「会社」という実態のないものに対してならば矛先が曖昧になる。その上、不満がある人間はそれを自分の中から掃き出すことが出来る。
全てが丸くおさまる「会社が悪い」。
しかし、それは思考停止であるとも言える。

発言者は「悪=会社」と、頭の中で分けることで満足する。
しかし、実際は会社はただの概念でしか無いので、会社を悪から善に変えていこうと思えば、その構成員から叩き直さねばならない。「会社が悪いんだ。ぼくはより善い会社を知っているんだ」と思うだけに満足してとどまり、実際に行動に移さない人が多いのではないだろうか。「会社が悪い」と発言する人は。

今日ぼくは、日頃、不満に思っていたことをブルーカラーのトップにぶつけたのだが、ぼくの不満はぶつけた瞬間に意外にも簡単にほどけていった。
それを受けて、ぼくは結局は仮想敵を作って満足していただけなのではないか、と思った。
何も行動しない内からびーびー文句を言っていただけだったのだ。しかも、その文句は本人に対してではなく、愚痴として。それでは根本的な解決はありえないよな。


こんなことを思った今日一日。
見えない敵に疑心暗鬼になり、深みにはまっていく。
こんなストーリーどこかで聞いたことあるな、と思ったら「ひぐらしのなく頃に」だった。


関連文献等
「ひぐらしのなく頃に」竜騎士07(スクウェア・エニックス)

theme : LIVE、イベント
genre : 音楽

ことばとこころ

http://ameblo.jp/akinatsume/entry-11090340425.html

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genre : 音楽

先に生きる者の務め

(http://ameblo.jp/noopy33/entry-11053358304.htmlよりの続き)

何かを教えるときに大事なことは、その姿勢に迷いが無いことだ。


教える者が迷えば、当然教わる者も迷う。


それでは教育にはならない。
(ときに、ともに迷いともに学ぶ、という状況もあるだろうが、それを除いて。)


教える内容に不安があるならば、教える者はそれを口にすべきではない。


もし分からないことがあるならば、明確に「分からない」と言うべきである。


それが出来ない者に教育者としての資格はない。


大事なことは知識の多寡ではなく、その姿勢に迷いがないことである。


その教育内容がたとえ偏ったものであったとしても構わない。
(語弊があるかもしれないが、「構わない」というのは「教育する上で」という観点からであって、「法的に」または「モラル上」問題があるかどうかはまた別である)


大事なのは、圧倒的な偏見をもって強固にそれを教える姿勢である。


迷いを、教える者が見せてはならない。


それが先に生きる者の務めであり、


それが先に生きる者の姿勢であり、


それが先生なのである。


自信をもって 胸を張って



つづく

http://ameblo.jp/akinatsume/entry-11053374028.html
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